桜丘の文学の散歩道
ソメイヨシノ  バラ科  花期:春
 
桜丘中学校の周辺は,ソメイヨシノが植えられている。校舎北側の名鉄瀬戸線沿いにもソメイヨシノの並木道がある。満開を迎えると,道路も桜吹雪で真っ白になる。例年,桜の花びらの舞う中,入学式を迎えるが,今年は1週間ぐらい早く満開を迎えそうで,入学式までもつといいが…
桜丘の文学の散歩道
シリーズ2
(2002.3.19)
さくら そめいよしの
(桜 染井吉野)


咲くからに 見るからに 散るからに


咲きしずまる桜の木の下に
柔らかな光の輪が
落ちている
自らの影と連れだって
幼い子は
縄跳びをとびつづける・・・・・

        (淡紅  鈴木 漠)

 彼女たちが、いつも平安神宮行きを最後の日に残して置くのは、この神苑の花が洛中における、最も美しい、最も見事な花であるからで、円山公園の枝垂桜が既に年老い、年々に色褪せてゆく今日では、まことにここの花を措いて、京洛の春を代表するものはないと云つてよい。
 されば、彼女達は、毎年二日目の午後、嵯峨方面から戻つて来て、まさに春の暮れかからうとする、最も名残の惜しまれる黄昏の一時を選んで、半日の行楽にやや草臥れた足を曳きずりながら、この神苑の花の下をさまよふ。・・・中略・・・そして、殆んど一つ一つの桜樹の前に立ち止つて嘆息し、限りない愛着の思いを遣るのである。

           (細雪   谷崎潤一郎)

 向いの松林にまじる桜樹は、すでに満開の花の雪を頂き、この屋上の桜は、地上のものならぬ絢爛の美をまさにくり展下陽としてい。
 その淡紅色は、日本人が桜のうちで最も珍重している花の色である。桜花は遠山の淡青色と相映じて、この上もなく繊巧な諧和を創り出している。

       (日本の四季  タウト)

花の香や嵯峨のともし火消る時 (蕪村)
花にうき世わがさけ白くめし黒し
        (みなしぐり  芭蕉)

願はくは花のもとにて春死なん (西行)
おもひやる心や花に行かざらむ (西行)

咲満ちて花より外の色もなし (足利義政)

 憂鬱な桜が遠くから匂ひ始めた。桜の枝は一面にひろがつてゐる。日光はきらきらしてはなはだまぶしい。・・・略・・・ 
 いちめんに枝を拡げた桜の花の下で、若い娘たちは踊ををどる。娘たちの白く磨いた踊の手足、ああ、そこにも、ここにも、どんなに美しい曲線がもつれ合つてゐることか、花見のうた声は、横笛のやうにのどかで、かぎりない憂鬱のひびきをもつて聞える。

             (萩原朔太郎)

 桜の種類甚だ多くして悉くあげがたし、姥桜は花咲くこといと早し、葉なくして花咲く故にかく名づく

       (百花譜  森川許六)

絵にかきおとりするもの

       (枕草子 清少納言)
*描くと本物よりも劣って見えるものの一つ


 

ハクモクレン
 学名:Magnolia heptapeta
 花期:春

桜丘中学校の西側には南北300mにわたり,ハクモクレンが街路樹として植えられている。坂の上の徳川園からハクモクレンの白いつぼみを眺めながら,登校する生徒の姿が朝は見られる。昼は犬の散歩をする人々。夜風も暖かく感じられ,闇の中に浮き立つように白木蓮のつぼみが膨らんでいるなか,地域スポーツセンターで人々は汗を流す。よく似ているのがコブシ(拳)ですが,コブシの方はやや花が小さい。


桜丘の文学の散歩道
シリーズ1
(2002.3.14)
もくれん (木蓮)

 木蓮の枝はいくら重なつても、枝と枝との間がほがらにかにすゐている。木蓮は樹下に立つ人の眼を乱す程の細い枝を徒らには張らぬ、花さへ明らかである。この遙かなる下から見上げても、一輪の花ははつきりと、一輪の花に見える。花の色は勿論純白ではない。徒らに白いのは寒過ぎる。極度の白さをわざと避けて、あたたかみのある淡黄に、奥床しくも自らを卑下してゐる。  

 (草枕  漱石)

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